人と比べるのを、やめられなかった話

デスクの上に子どものおもちゃが散らかっている画像 記録

人と比べるようになったのは、いつからだったか。

はっきり覚えているのは、中学1年生の頃です。


比べるという感覚が、突然始まった

小学生の頃は、友達と自分を比べるという感覚がほとんどありませんでした。

できる・できないはあっても、それはただの違いで優劣ではなかった気がします。

でも、中学生になってから空気が変わりました。

  • 勉強
  • スポーツ
  • 性格
  • 人からの評価

無意識のうちに、あらゆるものを比べ始めていました。


「自分は劣っている」という感覚

比べるようになって、最初に浮かんだ感情は焦りでも怒りでもなく、

自分は、劣っている

という感覚でした。

特別に何かをされたわけではありません。
ただ、周りを見るほどに自分の足りないところばかりが目につくようになった。


見ないふりをする、という選択

その頃の私は、自分の苦手なところやコンプレックスを直視できませんでした。

だから選んだのは、

  • 明るく振る舞う
  • 平気なふりをする
  • 深く考えない

という立ち回りでした。

比べていることを認めるのも怖かったし、
傷つく前に逃げたかった。

今思えば、それは弱さではなく自分を守るための術だったと思います。


比べるのを、やめようとはしなかった

「人と比べるな」
「自分は自分」

そういう言葉を後になってたくさん聞きました。

でも正直、その頃の自分にはまったく響きませんでした。

比べるのをやめようとしたことは、一度もありません。

むしろ、

これ以上傷つかないために、どう立ち回るか

を無意識に考えていた気がします。


大人になって、少し楽になった理由

不思議なことに、大人になってから人と比べることは減っていきました。

営業の世界に入り、自分のコンプレックスと
否応なく向き合うことになったからです。

  • 不器用
  • 喋りが得意じゃない
  • 要領が良くない

それを否定するより、「そういう人間なんだ」と受け入れた方が楽だと気づきました。


比べてきたから、得られたもの

今振り返ると、人と比べてきた時間が無駄だったとは思いません。

比べてきたからこそ、

  • 自分を過大評価しなくなった
  • 調子に乗らなくなった
  • 自分の能力を客観視できるようになった

そういう面も、確かにあります。


比較は、悪じゃない

ここで誤解してほしくないのは、
「比較は悪だ」と言いたいわけではないということです。

比べることでしか分からないこともあります。

問題なのは、比べることそのものではなく比べた結果で自分を切り捨ててしまうことです。


最後に

人と比べるのをやめられなかった時期は、
自分が弱かったからではありません。

それはきっと、これ以上傷つかないために必死だっただけです。

比べてしまう自分を無理に否定しなくていい。

このブログは、そんな感情をそのまま置いておく場所です。

私も、まだ途中です。


次に読むなら

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